我々の世代は西洋医学的な教育のみであった。卒後の医師国家試験も西洋医学的知識や判断を求める試験であった。その当時の自分は漢方医学という学問の存在さえ知らず、なんとなく怪しげな治療の1つとして頭の端っこに存在していた。漢方医学が医師国試から排除されたのは、富国強兵作を取る明治政府であった。集団に対する医療を充実することで、国力を増そうと考えたようだ。その時代としては正しい判断なのかもしれない。そんな状況に置かれたにもかかわらず、漢方医学は今の時代も生き残っている。私が漢方薬のすごさを知ったのは透析患者の様々な症状対する切れ味の素晴らしい効果を実感してからであった。
医師として6年が過ぎ、平成6年から12年間、東京女子医大付属東洋医学研究所に転籍した。そこでスタッフとして学生教育を担当しカリキュラム会議、講師の割り振り、試験問題作成と評価をほぼ1人でやっていた。私が担当していた当時は全国の八分の一の大学しか漢方の講義はしておらす、それ自体も物好きな変わった医者がやる治療法の1つに過ぎなかった。その漢方が大きく再認識され始めている。西洋医学的な薬剤の効果判定は基本的に二重盲検法などの客観性と再現性が担保された方法、すなわちごく普通?の集団に対して、1つの薬剤を投与した場合と偽薬を投与した場合に統計的な差が生じるかどうかという方法論である。残念ながらその方法では漢方では有意差が出ないことがわかりつつある。その理由は漢方的診断プロセスで明確化される証という概念が、西洋医学的な診断とは次元が異なっているためである。
西洋医学的診断の目標は患者に対してではなく、病理学的に確認可能な現象の原因や状況を「病名」というラベルをつけることである(細菌性肺炎・・とは、原因が誤嚥性や腫瘍性ではなく、細菌が感染したことによって、気道や肺胞や間質などに炎症細胞が浸潤し、血管透過性が亢進したり、肺の杯細胞の分泌量が増加、喀痰も急増する)治療としては細菌そのものに対する治療と気道分泌物、炎症、閉塞に対する処理などであろうか。それらの標準的な治療指示をガイドラインという。治験の中では患者の個体差はどれくらい重視されているのであろうか?集団を対象とした医学であり、その基本的な哲学は要素還元論的な思考の中ではそれは重視することはないであろう。漢方的診断である証という概念は、病名や病態や症候を1つにまとめた概念に加えて、目の前の患者に有効性が期待できる治療手段である漢方薬や経絡・経穴の指示をしてくれる。例えば「冷え症」という病名を処方の説明のある下敷きを頼りに処方しても効かないことがある。当帰四逆加呉茱萸生姜湯は四肢末端の冷感、霜焼けに効果が期待できるとともに、鼠径部の疝痛にも著効を示す。しかし、下痢傾向のある患者にこれを用いると腹痛を来すことがある。そのような場合には、人参湯や真武湯などを私は選択している。 +++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ キュンとは800字から900字ですので・・ここから削って易しくしていきます。